2万人以上の死者・行方不明者を出した東日本大震災から、昨日で13年の月日が流れました。数日前よりテレビでも特番が連日のように流れていましたので、その日を思い出した方も多いと思います。夏の広島・長崎への原爆投下のときもそうですが、当日を過ぎれば、あっという間に、その記憶は一時的に消えていきます。もちろん直接被害を受けた方々別ですが、私のように何もない場合は、どうしてもそうなってしまいます。悲しいですが、それが現実です。
世界に目を向ければ、ウクライナ侵攻やイスラエル・ハマス問題、ミャンマーもあります。国内でも殺人事件や事故など息つく暇もありません。こういった刺激が続くと、古いものから頭の隅に追いやれれていくのだと思います。
3.11当日の記憶は、首都高速上での揺れを感じてから帰宅するまでの一日しかありません。翌日は出勤したのかさえも記憶がありません。まったく抜け落ちています。 首都高速上で揺れを感じて、周囲の車が皆、ハザードを点滅させて停車していくなか、ラジオで地震発生を知りました。高速を降りたものの激しい渋滞です。周囲のビルからはたくさんの人々が外に出ていました。ナビを頼りに院に戻るのにいったい何時間かかったか、よく覚えていません。徒歩で帰宅しようとする人たちでしょうか、道路には多くの人が。夜、どうにか都営地下鉄が動くということを聞き、新宿線と三田線を乗り継いで、西高島平へ。そこからは歩いて帰宅するつもりでしたが、知人の家族が車で駅まで迎えに来るということを知り、なんとか合流して便乗させてもらい、無事帰宅できました。
自宅ドアを開けたとき、室内の様子が想像できました。当時、マンションの最上階に住んでいたこともあり、揺れの影響を激しく受けたようです。棚などの物は、ことごとく落下。キッチンは冷蔵庫のドアがあいて食物類はが散乱、加えてキチン上部の戸棚のなかの鍋類などもすべて床に。食器棚は扉が開いて、食器類はほとんどがキッチン床に割れて散乱していました。 リビングの液晶テレビと部屋のPC用の液晶モニタは、かろうじて落下を免れました。ただ、PC本体が部屋の真ん中に転がっていました。炊飯器も転がっていましたが、どちらも壊れてはいませんでした。奇跡です。 とりあえずキッチンのガラスや陶器の破片を片付けたほかは何もできず、どうにかベッドに倒れ込みました。記憶はここまでです。翌日から何をしたのか、仕事には行ったのか。どうにも思い出せません。
新年明け早々に起きた能登半島地震。小さいながら頻発する千葉県方面での地震。そして遠くない未来に起こるであろうと予測される南海トラフや首都直下型地震。富士山噴火も懸念されます。「天災は忘れたころにやってくる」といいます。昔から天災には無縁だった埼玉県。この地で生活する私は、おそらく天災に対する危機感覚は低いと思われます。飲料水のペットボトル1本さえ備蓄はしていません。「自分が生きてる間に地震や噴火はないだろう」ということかもしれません。この根拠ない危機管理の意識の低さは、いずれしっぺ返しがくるかもしれません。「後悔先立たず」。(小島)
世界に目を向ければ、ウクライナ侵攻やイスラエル・ハマス問題、ミャンマーもあります。国内でも殺人事件や事故など息つく暇もありません。こういった刺激が続くと、古いものから頭の隅に追いやれれていくのだと思います。
3.11当日の記憶は、首都高速上での揺れを感じてから帰宅するまでの一日しかありません。翌日は出勤したのかさえも記憶がありません。まったく抜け落ちています。 首都高速上で揺れを感じて、周囲の車が皆、ハザードを点滅させて停車していくなか、ラジオで地震発生を知りました。高速を降りたものの激しい渋滞です。周囲のビルからはたくさんの人々が外に出ていました。ナビを頼りに院に戻るのにいったい何時間かかったか、よく覚えていません。徒歩で帰宅しようとする人たちでしょうか、道路には多くの人が。夜、どうにか都営地下鉄が動くということを聞き、新宿線と三田線を乗り継いで、西高島平へ。そこからは歩いて帰宅するつもりでしたが、知人の家族が車で駅まで迎えに来るということを知り、なんとか合流して便乗させてもらい、無事帰宅できました。
自宅ドアを開けたとき、室内の様子が想像できました。当時、マンションの最上階に住んでいたこともあり、揺れの影響を激しく受けたようです。棚などの物は、ことごとく落下。キッチンは冷蔵庫のドアがあいて食物類はが散乱、加えてキチン上部の戸棚のなかの鍋類などもすべて床に。食器棚は扉が開いて、食器類はほとんどがキッチン床に割れて散乱していました。 リビングの液晶テレビと部屋のPC用の液晶モニタは、かろうじて落下を免れました。ただ、PC本体が部屋の真ん中に転がっていました。炊飯器も転がっていましたが、どちらも壊れてはいませんでした。奇跡です。 とりあえずキッチンのガラスや陶器の破片を片付けたほかは何もできず、どうにかベッドに倒れ込みました。記憶はここまでです。翌日から何をしたのか、仕事には行ったのか。どうにも思い出せません。
新年明け早々に起きた能登半島地震。小さいながら頻発する千葉県方面での地震。そして遠くない未来に起こるであろうと予測される南海トラフや首都直下型地震。富士山噴火も懸念されます。「天災は忘れたころにやってくる」といいます。昔から天災には無縁だった埼玉県。この地で生活する私は、おそらく天災に対する危機感覚は低いと思われます。飲料水のペットボトル1本さえ備蓄はしていません。「自分が生きてる間に地震や噴火はないだろう」ということかもしれません。この根拠ない危機管理の意識の低さは、いずれしっぺ返しがくるかもしれません。「後悔先立たず」。(小島)
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